プロジェクトストーリー
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創業ストーリー「夫婦岩を守れ」
スガテックの前身、「菅組」の誕生は、大正9(1920)年1月まで遡ります。創業者の名は菅金助。造船所の職工として部下を百数十名抱え、一人前に認められていたものの、一介の使用人であることを潔しとしなかった菅は、25歳で一念発起独立して「菅組」を興しました。創業の地として菅が選んだのは三重県鳥羽町(現・鳥羽市)。ここには造船所時代の菅の実績と人柄を認め、応援してくれる人が多くいました。
平成3年頃の夫婦岩と二見輿玉神社
その菅組の名を伊勢志摩地域に轟かせたのが、創業からわずか1年後、大正10(1921)年8月に手がけた二見浦夫婦岩の修復工事です。
天下の名勝、二見浦夫婦岩は、大正7(1918)年9月の台風によって女岩が根元から折れてしまいました。女岩は総重量が40トンあったものの、その岩質は手を触れるだけでボロボロに崩れるほど脆弱。ゆえにこの岩を原型を保ったまま修復するのは至難の業といわれ、工事を請負う者は大手土木会社といえども誰もいませんでした。やがて2年の歳月が流れ、菅が修復に名乗りを上げます。実は菅は、地元の名物が倒れたまま放置されていることに胸を痛め、日々修復の策に知恵を絞っていたのでした。独立してまだ1年あまり、新参者の菅に工事を依頼することに難色を示していた保勝会(夫婦岩修復のために結成された財団)でしたが、提出された修復工事案を検討するにつれ、菅の工法および人柄を認めるにいたり、菅組に修復工事を一任することになります。
(左)女岩曳揚工事の鉄バンド包装作業 (右)女岩包装鉄バンド組立の鉄バンド解体
菅の考案した工法は、脆くなっている岩を鉄製のバンドで包み、岩とバンドの間に綿をつめて保護、固定してから引き起こすというもの。模型をつくっての実験、同形同重量の岩を用いての吊り上げテストなど慎重な準備を重ね、いよいよ本工事が着工。幸い工事は順調に進み、着工後約2カ月で完成することができました。工事は女岩と基盤の岩を鉄筋でつなぎ、コンクリートで固めたうえ周囲に防波岩を築くなど万全のものでした。以来、今日に至るまで、名勝夫婦岩はその壮麗な姿を私たちに見せてくれています。
菅とその仲間が技術者としての誇りと意地をかけて臨んだ夫婦岩修復工事から90余年。菅が見せた技術への情熱と、「夢」をもって高みを目指し続ける志は、現在の技術者達にも連綿と受け継がれています。
※竣工式は大正10年10月20日に行われ、以後、スガテックではこの日を創業記念日と定めています。
※参考・引用『スガテック90年社史・90年の歩み』
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スガテック創業者
菅 金助